日本の職場にいて思うこと

デスクの周りが騒がしくなった。どうやら会議をしていた部署が戻ってきたらしい。静寂が打ち破られたことを少し寂しく思いながら、ちょっと休憩を入れることにする。

騒がしいと言っても、特にふざけている様子はない。かといって、シリアスなわけでもない。ほどよく真面目な会話が交わされている。どこをどう見ても仕事の環境としては良いだろう。

別に、今の職場だけがこういう雰囲気だったわけではない。学生の頃にバイトしていたところも含めて、だいたいの職場は真面目に働いている。もちろん、信じられないくらいダメな職場もあったが、そういうのは例外中の例外だった。きっと、日本のほとんどの職場は真面目だろう。

ところが、日本全体では生産性が低という調査結果がたびたび出て、実態としても日本は衰退している。また、会社のシステム自体に目を向けてみると、不合理な仕組みが幅を利かせていることが多い。

なぜこうなのか? おそらく、日本人は目の前の仕事にしか目を向けていない。全体として見たとき最適か、ということを考えない。それが今の結果を招いているのだ。真面目だが、視野が狭いのだ。そして、責任回避の傾向が強いことが、この状況に拍車をかけている。

たとえば、ここ3年のコロナ対策で凄まじい額のお金が使われた。当然、その費用は将来の増税やインフレとなって返ってくるわけだが、そのことを気にしている日本人は少ない。特にサラリーマンは、給料からかなり額が社会保険料として天引きされているわけだが、そのことに対してどうも無頓着のようだ。声を上げるどころか、外国建の資産に避難させることもしていないようだ。

真面目に働いている割に、お金に無頓着なのはなぜだろう? 給料が少なくても労働できればそれでいい、という精神だろうか。僕はまったく逆で、労働が少なくて給料が多いのが理想だと思っているので、日本人のこうした生態はまったく理解できない。

いずれにせよ、これから日本はどんどん貧しくなるだろう。それは国民ひとりひとりの行動が招いたことで、先日話題になった「国民の責任」という言葉がしっくりくる。