2023年の抱負は「自分を犠牲にしない」

2023年と言いながら、実際には永久の抱負とするつもりだ。自分を犠牲にしない。その精神こそが人生で重要だと思える。

──もう2月になってしまった。今年の抱負は1月中に考えるつもりだったのだが、忙しくてそれは叶わなかった。だが、2月にずれ込んだことで思考は深化し、2023年どころか一生ものの抱負に到ることができた。

まず、今年中に起こりそうなことを見ていこう。すでに発表されたが、日銀の新総裁が決まった。問題はその人選で、日銀内部の者ではなく、外部の経済学者が選ばれた。この学者の能力を問題視したいわけではない。ポイントは、この新総裁が決定するまでのプロセスにある。元々の有力候補と見られていた雨宮氏をはじめ、日銀内部の候補者たちは皆辞退したという。日銀で働く者が夢にまで見た新総裁の座を辞退した。これは、それだけ日銀の財務状況は悪いということを意味している。日銀は日本の全銀行のボスであるため、もし日銀が債務超過などという事態に陥れば、その影響は社会全体にまで及ぶ。円の暴落が現実味を増してきたのだ。

日本は混乱の渦に陥るだろう。これまでの秩序はひび割れたガラスのようになり、仮にどうにか秩序を保てたとしても、それはガムテープをあちこちに貼り付けたハリボテの補修になる。

もしこの予測が今年は実現しなかったからといって、安心できるわけではない。リスクは依然として存在しており、来年や再来年、遅くとも3年以内には予測は現実となるだろう。

そうした困難な時代が訪れたとき、必要になるものはなんだろうか?

当然、生き抜くためのスキルや資産管理は必要だろう。だが、私はそういった生活的な側面から一歩踏み込み、精神的な側面についても思考を巡らせた。

そして行き着いたのが、「自分を犠牲にしない」という精神だ。

説明しよう。混乱の時代では、必ず犠牲を求める人間が現れる。いや、それはすでにコロナ禍で現れていた。平等の名のもとに、自由を制限し、他人の行動を管理しようとする者たちだ。自分の安心感のためだけに、他人の権利と精神を犠牲にしようとする者たちだ。そうした者たちから身を守るには、けっして自分を犠牲にしないという、確固たる決意がいる。

彼らは良心に訴えることで犠牲を捧げようとする。強制的に行うのではなく、あくまで自発的にやらせようとする。良心に惑わされてはならない。感情に流されてはならない。理性的に物事を見て、彼らが人間の権利を奪い去ろうとしていることを見抜くのだ。

それが己の精神に強さをもたらし、困難な時代を生き抜く力を与えてくれるだろう。

この抱負は今年だけで終わらせてはならない。幸福を追求するためには絶対に必要な精神だ。だからこの抱負は、一生、己の中に持ち続けなくてはならないのだ。