前例主義の底にあるもの

日本の会社で働いたことがある人ならわかるだろうが、日本人はとにかく前例主義だ。前例がないものは否定し、リスクをとって新しいことにチャレンジする気概がない。そして一度決まってしまったルールは、それがどんなに不合理なものでも変えようとしない。

なぜここまで前例を重視するのか。それは日本人が経験主義的だからだ。自分でも他人でも、誰かが「経験」したことで認知を始める。だから「経験」がないものは認知外になるので、否定するわけだ。

その根底には理性の蔑視、あるいは否定がある。日本人は理性を嫌っており、その反対にある「感覚」を崇めている。たとえば新型コロナにおいても、統計的に死者・重症者は少ないというデータより、「コロナは怖い」という感覚で社会が動いている。だから他国に比べて、正常化が遅れているのだ。

理性の蔑視は、知性の蔑視でもある。知性が蔑視されているため、日本においては不合理なものが善になるのだが、不合理なものが温存されるが故に生産性は下がり、衰退への道が舗装されていく。

私は理性を蔑視しない。

衰退していくものには合わせない。

この不合理な社会で生き残ってみせる覚悟だ。