最近、なぜかYouTubeで『機動戦士Zガンダム』の動画がおすすめされてくる。YouTubeの意図はわからないが、その影響で、ふとカミーユのことを考えた。TV版のカミーユは、ラストで精神が崩壊する。カミーユは感受性が高く、反抗的で切れやすい若者だった。もともと両親との関係や名前にコンプレックスを抱えるなどの問題があったが、戦争の現実に直面するなかで、精神のキャパシティが限界を超えたのである。
それに対し、続編の主人公であるジュドーは精神が健康のまま戦争を生き抜いた。ジュドーにはバイタリティがあった。妹と自分の生活のためにジャンク屋を営んで働かなければいけないという事情があった。それがジュドーの生命力を育んだ。富野監督はふたりを主人公を通して、困難さを生き抜くために必要なものを描いたのだろう。
また、劇場版のカミーユはラストが変わり、精神崩壊せずに生き残る。感受性の高さはそのままだが、切れやすさは緩和され、周りの大人たちをよく観察する冷静さを備えていた。富野監督は、ジュドーとは別の形で困難を生き抜くために必要なものが描いたのだろう。
翻って現代社会は、それまで見過ごされていた社会の非効率さや矛盾が、もはや無視できないほどの巨大な債務となって人々に襲いかかっている。これらの状況に対して、どのように振る舞うかは非常に重要である。そこで、上述の内容がヒントになる。生命力か冷静さか、いずれかを持っていること。それこそが、精神崩壊せずに生き抜くための秘訣なのかもしれない。