また風邪を引いたことで考えたこと

6月が始まっていきなりだが、また風邪を引いた。約1ヶ月ぶりである。とはいえ、前回は一時高熱が出るほどであったが、今回は疲労感や喉、鼻の異常だけで済んでいる。御の字と言えよう。

社内や通勤中の電車を観察してみても、咳き込んでいる人をよく見かける。どうやら自分だけの現象ではなさそうだ。前回から今回までのペースの早さを鑑みても、おそらく、新型コロナであろう。制限が解除されたことで出社する人が増えただけでなく、外国からの訪問客も増加している。それで流行っているのだろう。

これまで日本人は、他国と比べてコロナ関連の社会的制限を長く続けてしまったがために、自然的な免疫力を低下させてしまった。その反動が、今、起こっているというわけだ。悪いことではない。こうして皆がコロナを移し合うことで、ようやく免疫力を高めることができる。そのうち風邪症状すら出ないほどコロナに順応するだろう。

それはそれとして、パンデミック騒動であらわになった日本社会の非効率さが、何も反省されずに続行されてしまうのは残念なことだ。日本、特に東京は、満員電車等でわかるように、明らかに特定の時間、特定の場所に人口が過密している。雰囲気が伝わる対面コミュニケーションを重視するあまり、遠隔コミュニケーションや理論立てて物事を伝えることが苦手という欠点もある。GoogleやAppleなどが出社を重視しているので日本も旧来のやり方が正しいのだ、と主張する人もいるが、そもそも置かれている前提条件が違いすぎる(ついでに言えば、こうしたテック系の大企業は、近年では革新性を失っていることがたびたび指摘されている)。

こうした社会全体の非効率さが温存されるとどうなるか。たとえば、社会保険料の増大などが結果のひとつである。日本の社会保障費が膨張していることはニュースになっているので知っている方も多いと思うが、これなどはまさに、日本が社会全体の効率化を果たそうとしていれば、もっとマシになった事例だろう。非効率さを温存した結果、日本人は自分たちの手取り給料を減らしてしまったのである。

「非効率なやり方にも意味はある」などという甘言に惑わされてはいけない。そうした意見は往々にして、非効率さが引き起こすリスクを軽く見ている。どのような場面であれ、基本的には効率化は正しいということを忘れないでほしい。